スポンサーリンク

父が脳梗塞になり、喋れなくなりました。

(去年、「父の硬膜下血腫」という記事で書いていたのですが、その続きになります。
硬膜下血腫については途中で書くのをやめてしまっていたのですが、

結論をいうと、今年の6月、つまり先月には症状は収まり病院へも行かなくてもいい状態になったばかりの矢先でした…)

先日の朝5時半ごろ、トイレの入り口で倒れている父を母が発見したことにより気づきました。

 

その時の父の様子は、右側を下に横向けになっており、

目は開き意識はあるのですが、

言葉を発せない状態で、

失禁していました。

 

こちらの声掛けには、目や一応動く左手で反応していたので、とりあえず命はあると認識できました。

しかし目と左手だけで何かを訴えているところから、すぐさま「脳梗塞をおこしているな」と判断しました。

(不整脈を患っている父が脳梗塞を起こす可能性があること、

またどちらかの手がうごかせない状況である場合は

脳梗塞を起こしている可能性があるということを聞いたことがあるからでした。)

すぐさま救急車を呼び、

去年硬膜下血腫を発症して動きがおかしくなったときにお世話になった(失神してはじめにいった病院とは違う)

大病院へ行きました。

そこで先生から告げられたのは、当然脳梗塞だということなのですが、

左脳がやや広い範囲にわたって白くなっているCT画像を見せられ、
発症してからすでに6時間以上は経っているだろいうということでした。
ここまで進行してしまうと、

手術などはできず、点滴をうっていくしかないということでした。

 

倒れている父を発見した時、すでに発症から時間が経っていたのでした。

 

父が寝ている場所は、他の家族が普段生活している中ではあまりのぞくことのない部屋でして、

トイレが別についていました。

静かなところで寝たいという父の要望からでした。

それが仇になったんですね。

去年硬膜下血腫を発症した直後は、

スポンサーリンク

夜、ちょくちょく父に異常がないかをのぞいていた私だったのですが、

一人で外にださせることは心配でできなかったものの

家の中で基本的なことは一人でできる父だったので

最近はあまり注意を傾けていなかったのです。

まあ、もう後悔しても遅いし、しかたがありません。

 

父は救急病棟に入りました。

その日の夕方、母と荷物をもって面会に行きました。

父は意識はあり、こちらの声かけにも反応はしますが、喋れません。

 

そんな父を見るのは忍びなく、つい、涙がでてしまいました。

 

病院の看護師によると、

父は自分がなぜ病院にいるのか、

また、自分が脳梗塞を起こして思ったように話すことができないことを

認識できていないようで、

点滴などを自分がから外してしまい起き上がろうとするということでした。

なので手袋をつけられ、拘束状態になっていました。

 

父はしきりに、比較的動く左手の手袋を眺めながら外そうとしている様子でした。

 

ちょっと耐えられないですね…今まで動けた父の不自由な姿を見るのは…

 

脳梗塞を防ぐため薬は飲んでいました。

去年、硬膜下血腫が発症した時、

当初はエリキュースを一日2回、飲んでいましたが、

しかし退院後、硬膜下血腫が再発してしまい、

頭内の血がなかなか引かない状況にあったので

当時の医師の指示で、1日1回服用の「リクシアナ」に変えていました。

(はっきりした因果関係はわかりませんが、父の場合はそれで硬膜下血腫の再発はなくなり、溜まっていた血も引いたのでした)

しかしまあ、防ぐことはできずませんでした。私の注意不足もありました…

 

今後、父がどうなっていくのか、正直不安です。

 

普通に考えれば、もとの生活を送るのは厳しいのでしょう。

 

それでもせめて、もう一回、話せるようになってほしいというのが息子の私の願いです。

 

また、事あるごとに書いていきたいと思いますので、よろしくおねがいします。

スポンサーリンク