父が脳梗塞で倒れてから、1週間がたちました。
その間、毎日、家族の誰かは見舞いにいっている状況です。
(病院の所在地は車で30分くらい、電車と歩きでも40分くらいですね)
自分も毎日は行けないのですが、
3日に2日くらいのペースで行っています。
父親も最初は、
布団の上に寝ている状態でほとんど身動きしない状況で
私は“この先どうなるのか…”と不安になっていたのですが、
この一週間のうちで
車椅子に乗ったり
毎日リハビリも少しずつ行っているとのことで、
今は布団から半身だけ置きあがっている状態で
会うことができるように、すこしだけ、安心しています。
●父は、脳梗塞による「失語症」と診断されました。
昨日面会に行ったときには、
父はちょうど夕食を食べ始めたときでした。
一応動く利き腕でない左手でスプーンを使い、
流動食を口にいれて食べることはできるようです。
ただ時折、左目をしかめるときがあります。
私の予想ですが、
動かそうとしても動かせないという
もどかしさといらだちを
感じているのはないかと思います。
利き腕でない左手を使っているので、
本人も当然食べにくいのでしょう。
父の食事を近くで見守っていく中で
食べ物をこぼしたり
または
器をうまく移動させることができないという
状況にしばしばぶちあたります。
母親は、それらを前もって察知して
回避しようと、こぼれた食事を拭き取ったり
スプーンで食べさせたりしていました。
その心情はわかります。
しかし(これは価値観の問題もありますが)
ここでの食事は、
少しでも日常生活に戻るための
リハビリの意義もあるはずです。
本人が頑張ればできるのに、
うまくできていない状況をみて
見ている方が焦ってしまい
先回りして本人を手助けしてしまうことは
本人の回復を妨げる行為になると思いました。
なので、私は母親に少し注意をしました。
(偉そうかもしれないけど)
そして、
できるだけ本人が自分でやろうとしていることは
先回りして手助けせずに
見守る姿勢で父の食事を見ていました。
すると、
やはりこちらが手助けしなくても、
時間がかかるにせよ、
父親本人がやろうと努力しており
不完全にせよ
自分のやろうと思っている動作を
完結させることができた場面が
ままありました。
先回りして手助けしても、
本人にとってはなんの利益にもならないでしょう。
もちろん、手助けしなくてはいけない場面もあるでしょうし、
その時の本人状況によっては
先回りしてやってあげることが必要なこともあるでしょう。
要はその境界線の見極めが大切だと思いました。
私はそこらへんのこともいい含めながら、
父に“うまくできなくても、少しでも動かない右手を動かそうとすることが
回復につながるらしいよ”と声をかけました。
すると父は、
左手にもっていたスプーンを
よく動かすことのできない右手で持とうと
必死に努力する姿が飛び込んできました。
感嘆しました。
“今、父はもとの状態にもどろうという意思がある、
応援しなくてはいけない”と。
父は当然、右手でスプーンをうまく持つことができませんでしたが
“今はできなくてあたりまえ。
でも、すこしでも動かす努力を続けていけば
必ずもてるようになるよ”
と声をかけました。
それから面会の終了時間が来てしまったので
帰宅しました。
これから
長いリハビリの戦いが
続いていくと思います。
私自身も、さらに学んでいかなくてはいけないことも多々あると思います。
また、やらなくてはいけない外的処理も様々出てくるでしょう。
随時、父の脳梗塞の見舞いの記録を記して行きたいと思います。