父は入院中に様々に感じるところがあり、すっかりA病院を信用しなくなりました。
そのせいもあってかどうかはわかりませんが、退院から2週間ほど、父は今まで飲んでいた薬も含め、今回入院中に処方された「イーケプラ」と「五苓散」も飲まずに過ごしました。
退院後、父は自宅からほとんど外に出ず、家の中で自分のことは自分でやっていたのですが、やはり失神したとき後頭部を強打したのが尾を引いたのか(どうかはわかりませんが)、頭痛や肩こりなどの体調不良を頻繁に訴えていました。
(まあただ、話ができなくなったり歩行が困難になったり、手足にしびれが出てくるという症状がでることはありませんでした)
しかしまあ面白いことに父は退院後、2週間後に通院してCTを撮って様子をみることになっていたのですが、その通院は行くつもりでいたようで、通院する2日前から薬を飲み始めました(笑)なんじゃそれ
ただ、心房細動の薬である「アーチスト」と「メインテート」については、このA病院が「アーチスト」がすでに処方されていたにも関わらず、重ねて「メインテート」を処方したことを後ろめたく思っていたのか、入院中には「アーチストはやめて、メインテートを処方しています」と言われており、退院後もメインテートの方を飲んでアーチストは飲まないように言われていたのですが、父は、まだ自宅に残っていた「アーチスト」と、「メインテート」の2つを重ねて飲み始めました。
(まあ、これについては、よくなかったのかどうか、今もわかりませんが…ただ、このことは心配はしていました)
そして退院2週間後のCT検査の結果。脳の周りにできていた黒い水腫の部分が減っているではありませんか。
「あー、収まってきたのかな」と思いましたが、ただ先生からは「まあ、ここから血腫になっていくケースもあるので」と、一応釘をさされた感じでした。
ただ父は、水腫が治まってきたということに、多少の安心感を覚えていたようでありました。
その後父は、さらに2週間後のCT検査まで、再び外にでることはなく、自宅で療養しておりました。
そして、再びA病院に通院してCTを撮る前日、騒動が起こりました。
父は、クレジットカードの明細を見て、A病院の入院費について分割払いがされていないことに気づき、私に“なんで分割払いにしなかったんだ”と問いかけてきました。
一応私は退院の際、父に「ここではクレジットカードだと2回分割ができず、3回ならできるけど、その場合、手数料が取られる」ということを父に告げ、父も「それならしかたない、一括で」ということで話がついていたのでした。
しかし、明細を見た父は、やはり納得がいかなかったのか、私に問いかけたという具合でした。
私は、“2回分割ができず、3回だと手数料とられてもったいないから一括払いにしたよ”と伝えました。
それを聞いた父は、“あ、そう”と言って、一旦私のもとを去りました。
しかししばらくすると父は再び私の元に来て「このA病院は元は公営なのに、クレジットカードで2回分割ができないなんてふざけてる!看護師も最悪だ!もう、こんな病院はいかない!明日の通院はもういかない!」といきなり、言い出しました。
私は父の発言に驚きましたが、こういうとき、まっこうから父の言うことに反論しても無駄だと父の性格もある程度は把握しているので、穏やかな感じで「まあいいけど、だけど、硬膜下血腫はどうするの?」と聞きました。
すると父は「そんなの関係ない!」と怒り心頭にぶつけてきます。
『関係ないって、いやいや、関係あるっしょ』と父のツッコミどころ満載の答えに対して心の中で思った私ですが、まあしかし、父はこうなるとなかなかどうしようもなくなるので私は「わかったけど、もし何か症状がでたら困るから、その時のために、どこの病院に行くかを決めておいてよ」と言いました。
一方、母はかなり心配しておりました。
私より父と接触する時間が多い母は、父の歩き方や動作が、ちょっとおかしいということになんとなく気づいていたようでした。
母は、病院にいかないと言い出した父に“いい加減にしてよ”と呆れ果てた口調で詰め寄りました。
母は父の別の意図も察知していました。
実は翌日の通院の日は、父がかねてより行きたがっていた、とある集まりがある日でした。
父としては、どうしても行きたい集まりと、もう信用していないA病院の通院を天秤にかけ、そして当然、信用しない病院なぞへは行かず、自分の行きたい集まりに行きたいと思ったのではないか、と思いました。
しかし後になって思えば、実はこの時父はすでに硬膜下血腫の症状として右側の動きが思うように行かない症状が出ており、“自分の体が思うように動かなくなり、今後これが治らないのではないか”という恐怖を覆い隠すためのカモフラージュだったのではなかったかと思います。
父は、このまま明日通院すれば、再び入院しなければいけない状況になるということをうすうす感じており、そしてその症状の治療を、自分がひどい病院だと感じたA病院などに任せることなどできないとも思ったのでしょう。
また、看護について多少の知識がある父はある意味看護に“理想”を求めており、その理想とかけ離れた看護をするA病院などに絶対に入院したくないという思いもあったでしょう。
父は、自分を詰め寄る母に“もうお前とは一緒に住めない、出て行け!”とかなり本気モードで反撃に出ます。
母もそこまで言われると、本当に何をしでかすかわからない父を知っているので、それ以上詰め寄るのをやめました。
私は父に、そんな症状が出ているとも考えず、まあ気楽に父の通院拒否を受け入れ、明日、父が久しぶりに一人で出かけていくのを見送ろうと思いました。
しかし…
次の日が、あんなにも騒がしい日になるとはまったく思いもよりませんでした(笑)